毎年恒例、表参道のスパイラルビルで開催される、Takeo Paper Showを楽しんだ後。
山陽堂書店にて、大坊珈琲店が限定復活するということで訪問しました。
珈琲の味なんてさっぱりわからないけれど、山陽堂書店でやるっていうだけで、きっと特別な機会なはず!と。単なるミーハー心満載で。
珈琲の神様が淹れるっていうのだから、大混雑で飲めなかったよー!なんて言い訳も考えながら。

こういう時の私ってば、絶対にチャンスを外さなくて。本当に一瞬だけお客さんが切れた瞬間に、するりと席が空くなんて奇跡。
大坊さんが珈琲を淹れる所作は、その前後も含めて、何一つ無意味なものがなくて、なめらかで、迷いがない。目を逸らすこともできず、ただ見とれてしまいました。
何度も何度も繰り返されることで作り上げられてきた所作は、私の心を穏やかに、安心へと導いてくれました。
出された珈琲の味は、濃厚で深くて、いつも飲んでいる珈琲とはまったく違う飲み物で。(それをすぐに美味しい!と表現することすらできないくらい未知の味)
そして、珈琲を淹れる所作が一通り終わった後、大坊さんがスッっとカウンターから出てきて、空いていた客席にちょこんと座る。両サイドのお客さんに、「いかがですか?」なんて聞いている。ん・・・!!
お客さんは声をかけられるなんてこと、一ミリも想像していなかった様子(もちろん私も!)で、キョトン。
でも、その大坊さんの一連の動きの違和感がなく、気付けばお客さんの懐にスルリと入り、ニコニコ座っている。びっくりしたけれど、安心して言葉を交わすことができるような。
帰りに「珈琲屋」という、珈琲の神様と呼ばれる大坊さんとお亡くなりになった森光さんの対談の本を購入。帰宅後読むと、大坊さんによる「はじめに」の文に、突然大坊さんがお客さんに声をかけるようなくだりがあるのだけれど、まさにその光景を目の当たりにしたのだと気づく。
大坊さんが、「はじめに」で亡くなった森光さんに語り掛ける言葉に、心が震えた。
繰り返される日々の中で重ねられた所作があるからこそ、一つ一つの動きに命を感じる。言葉にしては薄っぺらくなってしまうような気がするけれど、その重ねられた所作が支える言葉には、深みがある。だから、心が動く。動く。動く。

