普遍性について考える~森田真生さんのお話会と数学ブックトーク~

2日連続で、数学の独立研究者 森田真生さんのお話を聞きに行きました。

1日目は、鎌倉山の集会所

鎌倉駅からバスで山に登ったところにある、しずかでクリアな空気が流れる空間。

2日目は、表参道の青山ブックセンター

それぞれ主催者が異なることもあり、参加者の人数や顔ぶれも異なっていたのが面白い。鎌倉山は、LETTER.の大浦美和さんが主催。9割女性。この集会所を設計した堀部安嗣さんも聴講されていました。

おいしいスコーンを食べながら、森田さんから「普遍性と多様性」というテーマのお話3時間半。毎回森田さんのお話は、その場にいる人たち皆がこれから繰り広げられる話の”前提の知識や教養”を共有してからでないと、さっぱり???になってしまうので、丁寧に、でもギュギュっと詰め込んで一気に話してくれる。もはや名人芸の域だけれど、それでも半分くらいの時間がかかってしまう。残りの半分の時間で、さて今日の本題を。

”理解する”って、とても個人的なもの。”理解する”のは自分一人であって、それを共有することは、究極的には不可能。では、”理解”って独りよがりの単なる”遊び”なのか?究極的に、「普遍性」と「多様性」は相容れないものなのか。そもそもそれは意味のない問なのか。そして、「共通性への逃避」「画一性の暴力」に落ちることなく、「普遍性」を目指すことはできるのか。

普遍性を目指すために、異なる個がお互いの”identity cost(自分と異なる相手の意見を理解し、受け入れるためにかかるコスト)”を払う。そのプロセスの中にしか普遍性はないのではないか。

んーーー、最後の方は時間切れ気味で、私の思考が追い付かなかったので、それは自分で本を読んで考え深めるしかないなー

青山ブックセンターでは、数学にまつわる本の紹介、という体ではあったけれど、基本的には鎌倉山でのお話と本質は一緒。復習+発展といった感じで、深く理解できたかも。できてないかも。

個人的には、お話の本筋とは少しずれるのだけれど、”教育義務”という言葉がとても心にグッときました。自分がどんな仕事をしていて、どんな人間であっても、後世に何かを伝える”義務”がある、というような意味かな。んー、何か足りない感じがするけれど、教養を守り伝えることが必要だという文脈で。私も子どもにプログラミングを教える機会があったりするのだけれど、特に好きでやっているというよりは、”教育義務”としてやっている感じかな(嫌々やっているのではなく、責任をもってやっている、という感じ)。

あとは、”identity cost”という言葉、とてもステキだな、と。お互いが一緒にいるために、少しずつ譲り合う(妥協ではなく、ポジティブな選択)って。

「普遍性と多様性」ゆっくりと、でもきちんと考えていきたいテーマだな。また話を聞きに行こう。